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- 初めまして、北海道札幌市が拠点の塗装店「GREEN PAINT<グリーンペイント>」
に勤めております寺沢信哉<てらさわしんや>と申します。
曽根塗装店の自己紹介欄に私を載せていただいていることにいささか自分でも不思議な縁を感じます。
まずはどのような経緯で曽根塗装店と共に
仕事をさせていただけるようになったかということをお話ししようと思います。
曽根塗装店の内容濃いホームページに似つかわしくなるように
10代の私から、延々と、とても詳しく詳細に自己紹介をさせて頂きました。
長い文章になりますがどうぞお付き合いください。
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青年期、関東とのつながり
- 北海道出身の私ですが、関東には高校時代から関わりが度々あり
当時高校生だった私は、警察官になり「犯罪を減らして人の役に立つぞ!」という大願を持っておりました。
(警察官という仕事をどこまでわかっていたかは不明ですが・・・)
地元の北海道警察ではなく神奈川県警に願書を送り高校3年の9月、横浜のビジネスホテルに
一週間泊り込みで本郷台駅前の神奈川県警察学校へ意気揚々と臨んだのでした。
そして学科試験を見事通過!適性試験?通過、体力測定?通過!!これは本当に警官になるかも!!
期待に胸を躍らせついに面接!
まるでドラマに出てくる刑事のような3人の面接官に緊張しながら挨拶して着座するや
いきなり
面接官 「君はなぜ北海道警察ではなくて神奈川県警に来たの?」
私 「ほっ、北海道よりも神奈川のほうが人口が多いので事件も多いと思い志望しました!!」
面接官 「北海道にも事件はあるから大丈夫よ。」・・・
このようにして高校生時代から関東には関わりがあり?
惜しくも警官への夢を断念せざるをえない現実を受け入れ
失意の中ではありましたが、就職活動ぎりぎりで有り難くも
造園、治山工事を手掛ける全国規模の会社への就職が決まりました。
本社である、東京中野での勤務という通達が来たので、今度こそ札幌ともお別れだなと
3月末、札幌発、上野行きの夜行列車「北斗星」に乗り、家族見送りの中、涙の別れを済ませ東京へ。
東京での楽しかった一週間の入社式、新人研修が終わると常務から
「東京勤務でも辞めると言わないか君を試させてもらったよ、安心して札幌支店勤務だから」
と笑顔で告げられ、無言で札幌に戻り、家に帰ると私の部屋は母の部屋となっていました。
すでに私の居場所はなくなっていた実家から追い出されるように一人暮らしの準備を強いられた18歳、
行く気は満々なのですが私の意に反して帰ってきてしまう
2度目の関東との関わりでした。
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初めての塗装業
- こんなほろ苦い、青春の思い出とともに月日は過ぎ
19歳には地元札幌の塗装店に営業兼、現場管理職という形で転職していました。
そこはまさに「これこそワンマン経営の鏡」とも言うべき塗装店でした。
社長の独善的性格、強引なまでの行動力に当初困惑はしましたが、
バブル経済破たん後の不景気な情勢を物ともせず、
黒煙をまき散らしながらも強力な推進力で突き進む
騒音けたたましいディーゼルエンジンのような力強さを目の当たりにした
私の思考にその後大きな影響を与えました。
ワンマン塗装店(仮名)での現場管理の傍ら塗装職人の仕事を近くで見ているうちに
自分も体を動かし、手に職をつけてみたいという気持ちが次第に強くなり、
当時通わせてもらっていた職業訓練塗装学校の友人から
札幌で創業100年という老舗の塗装店に紹介をしてもらい
いよいよ私の塗装職人としての人生が始まります。
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塗装職人のスタート
- 100年塗装店(仮名)は会社の歴史がとても古く、
札幌の同業者では名前の知らないものはいないほど知名度があり、
その上仕事内容も国の公共工事、大手ゼネコンの大規模な新築工事、住宅塗り替えと
ジャンルの違うものも多く沢山の仕事を経験させていただきました。
請負う仕事内容から、店には老舗ながらのベテラン職人が多く
刷毛の持ち方、刷毛捌き、ライン出しの正確さなど自己の技術向上への探究心は高く、
「ローラーを使うのは邪道、本物の職人は刷毛だろう!」
「○○作業もできないアンコ(あんちゃん=作業未熟者)が一丁前に口をきくな!!」
「怪我と弁当は自分持ちだッ!!!」
「腕をなめられたらこの世界では食っていけないぞー!!!!」
と駆け出しの見習い時代に厳しく教えられ、
そこには確かに職人世界の美学は実在し、伝統のような美しさと
動物的な実力主義の厳しさを実感したのを覚えています。
そのような環境で経験を積んだ場合、通常は同じ考えで成長しそうなものですが
私は昔から納得しなければいつまでも疑問を抱いてしまう難儀な性格で
幼少のころ親から「どうして坊や」などと呼ばれ
かわいらしいネーミングとは裏腹に、両親からは「「うん」ということのない奴だ」
「どうして?」、「なんでこうなるの?」「ほんとうにそれでいいの?」
と疑問に思うたび聞いて廻り、周囲を困惑させていたようで
「三つ子の魂百までも」ということわざの通り性格は変わらないものだなとしみじみ思います。
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100年塗装店で感じたこと
- 100年塗装店でベテラン塗装職人の持っている「技術追求」は
自分の好き・得意な作業のみ力を傾ける傾向が強く、
実際の塗装作業内容は他の建築業種よりもはるかに作業種類が多く
求められる仕上がりも各作業が重なり合った結果を採点されます。
数多くある塗装技術の中で自分の好き・得意な作業を他者と比較し優れていることへの自負による
他の塗装作業への軽視が生まれるパターンは稀ではなく、比較優劣に至っても
通算の作業経験値や比較時の近々作業経験間隔の差等々といったものまで優越に影響を及ぼすため
平等な条件を整えることは出来ず、安易に技術の優劣を決めることは難しく
吹付け塗装は優れているが刷毛塗は苦手、刷毛塗は上手いがシーリング作業は出来ない等、
作業技術力の偏りによって全体の作業品質低下を招く例をいくつも見てきた結果
一部の作業技術追求よりも全体・各作業を均等なレベルで仕上げること(レベルは高い方が良い)
作業の偏りを減らし塗装総合技術を高める追求が塗装職人には求められるのではないか
と考えるようになりました。
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GREEN PAINTの始まり
- かつてワンマン塗装店の社長から言われた
「この業界では30歳までに自分の身の振りを決めろ」という言葉から
30歳までに才覚が伴わなかった時には100年塗装店に一生勤めあげよう
30歳までに才覚が伴った時は自分の塗装店として独立をすると
私は19歳から心に決めていましたので、
30歳になる前の28歳の9月に第一子が誕生することを一つの区切りとして
100年塗装店に8年務め、独立を決意しました。
才覚はどうだったのかは謎でしたが・・・とにかく若さの勢いもあり飛び出しました。
独立に関しては23歳の時に結婚した妻の実家が塗装店(個人事業主として)を営んでおりましたが
私の独立当時はすでに稼働していない状態でしたので、会社を譲りうける形となりました。
(そのため今でも代表名義はお義母さんなのです(^_^;))
会社は譲っていただいたのですが、ほぼ閉鎖状態だったため引き継ぎの仕事は何もなく
一からのスタートと同じ状態でしたので、念願の個人住宅塗り替え中心の会社を目指し
松下電器やHONDA、大企業の社長が、もう一度やり直すのならば自分の名字は使わない
と言っていたのを思い出し(一緒にするな!!(^_^;)と言われますね。)
「寺沢塗装店」は何やら昭和の雰囲気を醸し出し、あまり好評ではなかったので
将来性・未来への希望を託し妻、私とも緑色が一番好きな色ということもあり
「GREEN PAINT」と社名変更を行い新たな船出となりました。
独立当初は自社の仕事は当然無く、他の塗装店へ手伝いに行くいわゆる「助っ人作業」が中心でした。
札幌での助っ人稼業は5月〜10月までの雪の降らない季節は問題なく仕事になるのですが
11月に入ったあたりから雪がちらほら降り始め街には雪国特有の灰色の低い雲と閉塞感が漂い始めます。
塗装業は外仕事が多いので天候、気温の影響は大きく、気温の低下と共に次第に仕事は減っていき
仕事量が減るのに並行して少しずつ人員削減が行われ、真っ先に外注である助っ人から外されていきます。
夏季の忙しいときは「うちは冬の仕事も沢山あるので夏季の忙しいときに
手伝ってくれた奴は冬の面倒を見るよ。」と言われていたのですが
実際の冬季は月に数日しか仕事がない状態で1年目はその現実も知らず流れに身を委ねるしかなく
独立への後悔を感じるほどに財政的、精神的に苦しい初年度でした。
2年目からは失敗を繰り返さぬために助っ人業ではなく
知り合いのつてを頼りに請負い業を始めました。
請負い業の内情は同業の友人などから聞いてはいましたが、実際もやはり大変で
「下請けに対して温情のある元請」には下請けが集まり、
離れていく会社も少ないためそこに新規の下請けが入れる余地はとても少なく
逆に新規で下請けとして成立するのは先述の逆に位置する「下請けに対して冷酷な元請」です。
そのような冷酷な元請け会社には、下請けが安定せず入れ替わりが激しい分
常に下請けの空きがあり新規で入れる余地があるのです。
塗装業界での力がないグリーンペイントでは元請を選ぶ力はなく
苦渋の策でしたが覚悟を決めて後述の会社に下請けとして編入させてもらいました。
そこは全て元請のコントロール下に入ってしまうシステムで管理されていて
当社以外の仕事をすると契約を打ち切るという軽い恫喝のもとに
当月の作業が全て終りこちらの人件費、材料費等の実質の工事費用を
元請が計算した上で翌月末に工事金額を伝えられるので、
頑張って早く工事を終えても金額の調整をされるため利益は出ず
元請のみの利益が上がる仕組みになっており
逆に工事が遅くなってしまうと受け取り金額はさらに少なくなり、さらに元請からの催促までついてきます。
終わりのない後出しじゃんけんと戦っているようなものでどちらに転んでも光が差すことのない内容でした。
覚悟はしていたはずなのに下請け業がこうも立ち行かないものとは、私の想像を上回っていました。
3年目、グリーンペイントのその後に渡って“本当の助っ人”となってくれる
職業訓練塗装学校時代の同級生、斉藤直樹氏から一緒に働きたいので雇ってくれと
思ってもみなかった提案を受け、そこから事態は好転していきます。
斉藤氏の参加により私が請負業をしている間、彼がグリーンペイントの仕事を担当してくれ
この年、初の自社物件、第一号になるお客様と契約が出来ました。
まさに光明が差したような思いで感謝と希望が見えた一年でした。
有難いことにその後4年目20件、5年目37件と斉藤氏の頑張りに助けられ
グリーンペイントの自社物件契約数も順調に伸び
ついに請負業4年目で元請と、大きくもめることなく勤めを終えることが出来
GP(グリーンペイントです(^_^;))スタート6年目にして年間86件
念願の完全自社物件化を達成することが出来ました。
7年目からは住宅塗り替え、屋根塗装を含めコンスタントに年間100件以上の施工実績を重ね
本年で12年目を迎えます。
契約内容も当初は広告媒体による新規のお客様が中心でしたがここ数年は
屋根を施工させて頂いたお客様から今度は壁の塗装、また、施工させて頂いたお客様からの
紹介など自社のお客様として仕事させて頂けることは本当に有り難く
独立初期の助っ人業、請負い業を生業としていたころとは別の世界か?と思うほど
毎日が充実しており、作業技術・知識力を高める、お客様への丁寧な対応を心がけることが
次の仕事へと繋がっていく、このサイクルはとても尊く、かつ、もっともっと頑張るぞ!
と自然に思える有難い環境におかれていることに常に感謝を忘れません。
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中年期、関東とのつながり
- 話は少し前に戻りますがGP開業より2年目、
夏場の請負業務と並行する形で11月〜3月までの冬季5か月間を
かねてより親交のあった私の大先輩から東京、池袋で大規模修繕工事を専門として
会社を立ち上げ、その後急成長を遂げ「人手が足りないので冬季間だけでも
東京に来て仕事をしないか?」という有難い誘いを頂きました。
ここで17歳の時以来の関東との縁が再来。平成16年冬
大規模修繕工事、現場代理人として歌舞伎町とすぐ隣の新大久保の
雑居ビルの工事を担当しました。
工事自体は難しいことはありませんでしたが、当時、関東はわからないことだらけで
その地域がどのようなところかも判らないまま仕事をしておりました。
しかしそこでは地元札幌では考えられないような驚愕の出来事がいくつも起こります。
現場事務所には見るからに一般人ではない人間が「これは特別な軍手でお前の会社とは
話はついているから、わかるな!?」と法外な値段で買えとしつこく勧誘?に来たり
昼間から「コッラァァァッ!!!」などという尋常ではない奇声がこだましたり
工程上バルコニーに荷物が大量にあると作業が進まないため、その荷物を移動してもらう為
部屋に伺いチャイムも鳴らしてもなかなか出てこず、ようやく扉が開いたかと思うと
強烈な臭い・・・(お食事前の方はスミマセン)その部屋は薄暗く沢山の間仕切りで仕切られ
中には10名以上の人影が動く、外国人らしきタコ部屋と化していました。
暗がりから「オニイサン、ナイショ、イイネ?」と低い響く声が聞こえ
こちらからは見えないのに、向こうからはこちらが丸見えの恐怖。
「オーケーヨ、オーケーヨ」と即興で合わせ、扉を閉めるや否や逃げるようにして
足早に立ち去りました。「嗚呼、札幌に帰りたい・・」
私の中でともすると「東京=怖い」という方程式が完成するのではないかと
思うほどのショックを受けた初めての東京体験でした。
翌年は埼玉県、川越市の、のどかな地域のマンション施工で
初年度の大久保がビックインパクト※注 な地域ということにようやく気づき
「東京=怖くない」とホッと胸をなで下ろしたことも、今では良い思い出です。
※注 普通に住んでいる大久保の人がスルーしてくれる表現でありますように (^_^;)
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曽根塗装店とのファーストコンタクト
- そんな形で関東に縁が出来、関東出張7年目、この年かねてより
HP上で気になっていた同業者の曽根塗装店が出てくるのですが
その出会いは今にして思えばドラマチックであったように私には思われます。
両国国技館近くでマンション改修工事を行っていた際に、関東の同業者はいかがなものか?
という好奇心からインターネットで「塗装店」と検索すると一番上に来ていたのが曽根塗装店でした。
内容を見てみると、とても細かく塗装の細部にわたるまで説明されていて
今まで見てきた塗装店のHPとは明らかに違う異色を放っていました。
その中でもとりわけ、塗料の耐久性能試験に私は興味を持ち
当時そのようなことをやっている塗装店がいない中で、どうすればこういうことを
思いつくのか?いったい普段は何を考えて生活しているのだろうか?という探究心から
「今がその時!!」昔からカンは良い方で、直感という名の思い込みによる手助けもあり
早速電話してみようと思い、というか、すぐ電話をしておりました。
その時の電話内容は
寺沢 「ホームページを見て電話しました、札幌で塗装店をやっている寺沢といいます」
曽根 「何の御用ですか」
寺沢 「奇抜なことを考える人なので、ぜひ一緒に仕事させてもらえませんか」
曽根 「仕事内容はHPに書いてあるので見たらわかりますよ、一緒に仕事しなくても」
寺沢 「どういう考え方をするのか、そのスタンスを知りたいので一緒に仕事させてもらえませんか」
曽根 「では、まず直接会って話してみましょう」
その後曽根さんに「よく知らない自分と会ってくれましたね」との問いに曽根さんは
「スタンスを知りたいなどと言うやつは普通じゃないので興味を持った」とのことでした。
お互い性格は違うのですが、一筋縄ではいかない所での共通点を感じました。
平成22年4月から一緒に仕事をさせていただいて驚かされたことは曽根塗装店の技術力の高さです。
塗装店ではまず見ることのない、計量機を使っての塗料の稀釈・混合作業
シーリング施工での既存シーリング撤去度合いが影響する知識力、施工技術力
そのほか、書ききれない程のテクノロジーの違いを見せつけられました。
私は札幌では他社競合に負けないよう、常に最新の技術と手の込んだ作業を行っている
業者であるという自負があったのですが、グリーンペイントで行っている作業は
平均他社をターゲットにした作業比較であり曽根塗装店の技術と作業精度の高さは
“平均”や“一般”とは一線を画しており到底、太刀打ちできるものではありませんでした
その事実に気付くや否や、スタンスの確認程度のはずだった思考から
曽根塗装店とこうして縁が出来たことは、自分の塗装人生の大転機となるのでは?
とスイッチを変更、出来うる限りの知識、技術の吸収に全力をあげました。
店主、曽根さんはそのような優れた知識、技術を閉鎖的ではなく、知りたい人には
どうぞここで勉強しなさいという、懐の広さも持ち合わせており
私の、「そこまで聞くカッ!!?」という姿勢に対し、「これでもカッッ!!!」というまで
返答をしてくれる曽根さんでした。
この出会いで私は今後の塗装人生において、とても大事なものを
勉強させていただいた大切な期間となりました。
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その後
- このコンタクトは札幌のGP作業にもすぐ反映され、技術導入した結果
札幌地域でも特殊な技術性と高い品質がお客様に評価され、今までは他社との相見積で
負けることも多かったのですが、はっきり目に見える形で成果が上がるようになり
曽根さんには感謝してもしきれないほどの御恩があります。
しかし、ここで私の性格から、どうしてもそうなってしまうのが
曽根さんから素晴らしいことを教えてもらったからと言って曽根さんと同じにはならない!
そうなのです、こんなに御恩がありながら“やはりっ”「どうして?君」は健在で
良いところは吸収し、私にとってここはどうか?と思うことは採用しないのです。
曽根さんはホームページトップで「自分の家だとしたらどう塗るか」と書かれているとおり
大きい所から細部まで精度を上げとても手の込んだ仕事を行っています。
それは何度も一緒に作業をさせていただき、私もこの目で見てきました。
その精度の高さは私が全技術をもってしてもたどり着けない領域と感じてしまうほどです。
曽根さんの几帳面さ、生まれながらの?生真面目な性格、非常に高い技術力
大切にしている職人の美学これらが細部まで完成度の高い塗装工事を実現しています。
これらの実現には多大な労力が必要になり、それはコストにも表れます。
曽根さんと一緒に働き、毎回、工事請負金額以上の手間を惜しまずかけ
利益度外視で作業を進める姿にお客様への誠意を感じずにはいられません。
「神様、仏様、どうか曽根塗装店が潰れてしまわないようにお助け下さい」
と祈らずにはいられないほどの利益度外視です。
曽根さんと、よく論議する内容で
「請負金額の高い低いによって作業手法を変えるなんて器用なことは到底できない」
この考え方は実は私も共感するところで
作業手間や材料をきちんと使用すると工事金額が高くなり、工事品質は高くなる
そのようなスタイルで毎日仕事をしている職人に、
作業手間を減らして工事金額を安くしてくださいという提案は、
想像以上に頭と体に仕事が焼き付いている職人という職業上難しく
逆にいつも安い工事金額の仕事をしている職人が、
工事金額を高くするので作業手間を掛けて品質の高い塗装を行えるか?ということも出来ないのが
職人の世界ではないかと思います。
↑逆バージョンの安い工事が多い職人は仕事の頭・体への焼き付き以外、
根底にある作業技術力知識不足で高い品質の工事を行うことは難しいという見解を付け足しさせて頂きます。
リフォームジャンルの中には外壁塗装、外壁張替、増改築、建て替えなどのグレードがあり
一般的にはそれぞれの平均価格の中で全国各社しのぎを削っていますが
どの工事においても材料費、人件費、諸経費、利益で構成されており
各工事において一般的にユーザーから求められる耐用年数をクリアーするためには
最低限必要となる費用もほぼ決まっています。それを大きく下回る金額の見積りでは
何かしらの“隠しダネ”が必要になり、料理の隠しダネはワクワク楽しみですが
工事で用意されている“隠しダネ”はドキドキさせられるものが多いでしょう。
安すぎる見積りの危険性を説明させていただき“論外”とさせて頂いたうえで
高い技術・知識をフルで使用し精度の高い工事スタイルで進むと工事金額は高くなり
「どうして?君」である私は、高い技術・知識をフルで使用し精度の高い工事スタイルの需要、
完成度の高さを理解した上で、もう一方での求められる可能性として
塗替え工事に求められる平均価格帯の中で一般的な平均他社と比較し
どれだけ手間をかけ高品質な工事を提供するか?を追求しています。
この提供の追求には、全体コストを抑えるためにこの作業は省力化を行うが
耐久性能に直接影響するこの作業には手間を多くかけるのでコストが高くなってしまう
等々、微妙なバランスを必要とする判断が多く、その判断が
お客様に納得していただけるものを提出する必要があると考えます。
GPで提出する見積書に添付している「塗装読本」なる作業解説書、
詳しく作業を知らない方でも
その作業が耐久年数に与える影響、
そして平均一般的作業と比較してGP作業がどこまで金額を抑えて手間を掛けるか、
の証明を記していますので、ぜひ一読願いたいと思っております。
(営業トークでした・・・(^O^)/))
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あとがき
- 曽根さんとは根底となる理想は同じものを求めている、と私は思っています。
顔を合わすたびに作業方法への激しい論議は尽きないのですが
そのようなことを繰り返していても変わらずに論議(←かなり激しぃですよ)
に付き合ってくれている曽根さんの懐の広さには常に感謝の念を忘れません。
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2014年3月 寺沢 信哉
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